北九州に住む主婦のブログ(暇な女子大生が馬鹿なことをやってみるブログ)

暇を持て余した佐田清澄が欲望の赴くままにしたためています。

告白

 

TSUTAYAでお笑いのDVDを借りるのが日課になっている。

人々がどんな時に、どのようにして『面白い』と感じているのかを探るためだ。

 

ラーメンズの「爆笑オンエアバトル」でのネタ集、おぎやはぎトークライブDVD、旅猿ロケみつ、アメトークなど、なるべく偏りが出ないように色んな種類の笑いを選ぶ。

 

「エンターテイメント」という意味では昔のドラマもとても面白いので、踊る大捜査線ショムニ(第一期)なども参考にする

90年代はドラマも音楽も質の高いものが溢れていたように思う。きっと景気が悪くなるとインドア―なカルチャーが発達するのだ。

 

フロアで彷徨っているとおススメ邦画ランキングの棚に辿り着いた。「舟を編む(メガネをかけた松田龍平はとても魅力的だが、宮崎あおいに対して複雑な感情を持っているのでパス)」や、「桐島、部活やめるってよ(観た。ほぼ全員演技が見事。構成も見事)」と同じように、そこにあった「告白」

 

 

「好きな作家さんは誰ですか?」

会った人には大抵この質問をする。どんな本を読んでいるかでその人のパーソナリティーに関する情報の多くが手に入るからだ。

 

湊かなえは…すごいね」

 

その人が静かに放った一言を私はずっと覚えていた。あまり人を褒めない性質の人だから、尚更気になったのだ。

 

パッケージを開いたのは返却期限ギリギリだった。何となくすぐ観る気にはなれなかった。怖かったのかもしれない。どんなストーリーなのか全く知らないが「学園モノ」で「グロテスク」というウワサだけ聞いていた。

 

その昔、祖母と姉と連れだって博多に出かけた時、大きなビルのスクリーンに「バトルロワイヤル」の予告編が映し出されているのを見てしまった。

教師役であるらしいビートたけしが生徒に向かってナイフを投げ、そのナイフが生徒のおでこに突き刺さって死ぬというシーン。

 

 映画はR15指定されているようだが、当時の私は9歳だった。9歳の私はその映像を観た後急激に気分が悪くなり、2~3日ふさぎ込んだ。以来私が他人の不幸でしか上手く笑えなくなったのもそのせいかもしれない。だとしたら少女の無垢な心を闇に染めたとして東映を訴えることも辞さない。

 

「告白」はそのようにただただ残酷な映画ではなかった。

かといって「悪人」のように現実に起きてもおかしくないようなヒューマンドラマとも違う。

現実離れしていてエンターテイメント映画のようでもあるが、人間たちの心情の描写が凄まじいほどにリアルで恐ろしくなる。

 

「教師は生徒のことを手放しに愛している」「非行に走る生徒も最後には救われる」

この映画でそういった綺麗ごとはひとつもお目にかかれない。

 

14歳の頃、学校にいるのが嫌で自分の部屋にこもる生活をしていたが、「告白」はあの頃の気持ちをまざまざと思い返させた。『ああ、こういう人間の残忍さを見るのが嫌で引きこもっていたんだな』と実感した。学校という存在は子どもたちにとっていつも、食うか食われるかの戦場でしかない。

「バトルロワイヤル」なんかしなくても勝手に自分たちで殺し合いを繰り広げているのだ。

 

「告白」は直接視覚には訴えないホラー映画といってもいいだろう。それほどに観客を震え上がらせる力を持つ。映画化するにあたり原作に多少手が加えられているとはいえ、やはり湊かなえは「…すごいな」なのである。

 

落ち込んでいた時、普段は避けていたホラー映画を観て元気が出たことがある。ショック療法のようなもので、暗い気分の時にはビックリするのがいいのかもしれない。

 

人間の感情はわたしたちが考えているよりもずっと複雑だから、どんなことがきっかけで「悲しい」が「楽しい」に変わり、「面白い」が「怖い」に変わるか分からない。それを追及していくのがエンターテイナーの役割なのだろう。

 

そんな湊かなえ作品とは全く異なる、「純度100%の空回りロマンス」を描いてしまった。原作者はわたしだ。

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湊かなえは読後感が気持ち悪いらしいが、暇な女子大生はストーカー感が気持ち悪いと思う。果たして愛の「告白」はあるのだろうか?

 

「お前は暗い物語を書く時の方がイキイキしている」と言われたことがある。人々をアッと言わせる記事を書くためなら、「バトルロワイヤル」でも「死霊のはらわた」でも何でも観てやろう。