実はいま、内定を取れそうな会社がひとつある。しかしブラック会社かもしれない。わからない。
その会社の執行役員の風貌は、福岡の中洲周辺にいる風俗の客引きみたいだった。
「○○さん、落ち着いてるよね~ 社員の間で評判だよ」
ヒゲ面のポン引きは言った。
これまで3人の社員と面接を重ねてきた。一人は玉木宏にそっくりの、目の覚めるようなイケメンだった。一人は斉藤工にうりふたつの、夢みたいな美青年だった。
そしてもう一人はメガネをかけた、朴訥で優しそうなお兄さんだった。
そのお兄さんは人事担当として一番最初に面接した。私はそれまで面接をすごく苦手に感じていたのに、この人を前にするとスラスラと自分の言いたいことを話せた。
仮にこの人をTさんと呼ばせてもらおう。私はTさんとの面接が終わった直後、とてもウキウキしていた。「通過は間違いない」と確信していた。
なぜなら私は「Tさんを完全に惚れさせることが出来た」と思えたからだ。初めて顔を合わせた時からTさんは私のことを「可愛い」と思っているようだったし、話している途中も彼はずっとニヤニヤしていた。
携帯に入っているTさんからの留守番電話も、面接前と面接後を比べるとその声の高揚具合が全然違う。私の電話にかけることにわくわくしているように聞こえた。
私は小さい頃、女の子らしい恰好をさせてもらえずいつも男の子に間違えられていた。周りの女の子たちがツインテールをひらひらさせているときも私だけ雨上がり決死隊の蛍原みたいなおかっぱ頭だった。レースやらプリーツスカートやらワンピース姿の女の子たちの中で私だけホンジャマカ石塚のような薄青いオーバーオールを着ていた。「ブス」と言われたこともあったし自分でも自分を「ブス」だと思っていた。
自分のセルフイメージはずっと「ブスな女」だった。
しかしある時知らない男から「かわいいね」と言われた。
鏡を見てみた。おかっぱ頭は消え、ダークブラウンの髪の毛は肩まで伸びていた。浅黒く日焼けした肌も真っ白になっていた。細い目も大きく丸くなり、鼻も昔より高くなっていた。
そうか、私は可愛くなったのか。
黒スーツに身をつつみ、紫色のアイシャドウでお化粧すると昔の面影などひとつも見えなかった。田舎の薄汚れたガキだった私は都会の洗練されたお姉さんになっていた。いつもエロいことを考えているせいか、フェロモン的な成分も放出されているように思う。
だからTさんを前にしても私は怖気づくことはなかった。大人の女として自信を持って振る舞えた。
今ではTさんのことを考えると楽しくなってくるほどだ。Tさんから「次回面接のお知らせ」の電話をもらう度ドキドキする。オフィスに行けばTさんに会えると思い嬉しくなる。
Tさんが私に惚れたのではない。私がTさんに惚れてしまったのである。
思えば初めて会ったとき「好みのタイプだな」と思ったのは私である。面接中、Tさんを笑わせようと必死になっている自分がいた。Tさんの笑顔を「可愛い」と感じた。ニヤニヤしていたのは私である。きっとTさんはあの時「この女俺に惚れてんな」と思ったに違いない。
私は知らず知らずのうちにTさんに取り込まれていったのである。きっとこの会社はブラックなのだ。ブラックだから純粋無垢な女子大生を色香で誘い込んで無理矢理にでも入社させようという魂胆なのだろう。
でももしTさんが入社後も私に優しくしてくれるなら、ブラックでもいい。
ポン引きっぽい執行役員に会ったあと不安になって、選考をこのまま続けてよいものかと迷ったが、結局選考を辞退しなかった理由はTさんがいるからだ。
「とうとう最終面接ですね。自信を持って頑張ってください」Tさんは言った。
「頑張って」などという言葉よりも「可愛いよ」「好きだよ」と言われる方が何倍も力になる。普通は就活生にそんなことを言えばセクハラになるだろうが、私はTさんからのセクハラを待ち構えている。元ヤクルトの古田捕手の構えで待っている。
来週社長と面接するのだという。私は彼らに騙されているのだろうか。
Tさんの優しさは果たして本物なのだろうか。
知人男性(S)に「ねえ、私って可愛いかなあ」と聞いてみた。
「可愛いよ。小学生みたいで」と彼は答えた。
みぞおちのあたりに「不安」を感じた私は、紫のアイシャドウを濃いめにいれた。