わたしがまだ、今よりももっと蛇のような目つきをしていた頃
それは18歳だったが、周囲の若者たちの例に漏れず自分の未来に絶望していた私はやはりというかなんというか自殺を企んでいた。
浪人生ではあったが大学なんて「行ったところで何になるんだ」と考えていたし
予備校と実家の往復にもほとほと嫌気がさしていた
予備校から家路に戻る途中いつものように「消えてしまいたい」と思った
その日はその思いがとても強まったのですぐに駅には向かわず少し離れたところにある巨大ショッピングモールに行ってみることにした
行こう、と思って行ったというよりも歩いていたらそこに辿り着いていたという表現の方が正しい。
休日はいつも家族連れやカップルで賑わっているはずの場所が平日の夕暮れはガランとしていて自分には居心地がよかった。
回り続ける無人観覧車を眺めたり、ショッピングモールに流れる安っぽいBGMを聴きながら暫くボーっとしていた
一階にあるCDショップにフラッと入ると、真っ赤なジャケットが目に飛び込んできた
マイケルジャクソンを最初に知ったのはNHK「天才てれびくん」の音楽のコーナー、「ミュージックてれびくん」だったと思う
子役タレントたちがドラキュラやゾンビに扮して「スリラー」を歌って踊る様子が子供心にすごく印象に残っていた
懐かしい気持ちと値段が1500円と安かったのでその場でレジに持って行く
懸賞で当てたちゃちなCDプレイヤーにセットして再生ボタンを押すと、流れてきたのは「ビリージーン」だった
Michael Jackson - Billie Jean - YouTube
不気味なメロディと、繰り返される「ビリージーンは僕の恋人じゃない」というボーカル
当時テレビで流れていた「子どもにわいせつ行為をした」疑いで何度目かの裁判にかけられるマイケルジャクソンのニュース映像が頭をよぎった
日本のマスメディアは明らかに彼のことを「気味の悪い怪人」と伝えたいようだった。
男の子からよく「気持ち悪い」と言われて傷ついていた私は、世界中の人から「気持ち悪い」と詰られてもなお新しいことに挑戦し続ける彼のことを考えた
そして「どんなに叩かれていても彼は世界で一番のエンターテイナーであり、その事実はこれからもずっと変わることがない」ということを考えた
「なんてかっこいいんだろう」
CDプレイヤーのボリュームをMAXにして何度も何度もリピートした。頭の中がMJでいっぱいだった。
私の心には強烈な憧れと冴えない18年の間に蓄積していたエネルギーが渦巻いていた
『私もこの人みたいに何か大きなことをして世の中を驚かせたい』
エネルギーのやり場が分からず部屋の中でムーンウォークの練習ばかりしていたが、
「今こそ家を出るときが来た」
そう思い受験勉強にとにかく集中した。
センター試験まで2か月も無かったと思うが、その時の私の集中力は自分でも信じられないほどだ。
2か月後私のもとには東京にある大学の合格通知書が届いた。
東京の住居も決まり、あとは引っ越すのみとなった3月の初め、付けっぱなしにしていたテレビに思わず釘付けになった
長らくメディアに登場することのなかったマイケルジャクソンが記者会見を開いていたのだ。
驚いて思わずテレビに近寄る。
そして私は彼の次の言葉に激しく動揺してしまった。
「これが最後のライブだ」
続く↓