会社で働いておらず、アルバイトもしていないので一日中家にいることが多い。
パソコンの前に座って何時間も同じ体勢でいると心までくさくさしてくる。
気分を変えようと、5年以上酷使してサビだらけになった自転車を転がし近所をひとっ走りする
『そういえばカバンの中に先月のプロバイダー代振り込み用紙が入っているはず』と見てみるとやはりあった。底の方でクシャクシャっと縮こまっている。
帰る途中にセブンイレブンに寄って、サラダチキン(ハーブ)と共に振込用紙を清算した。
ふとレジ脇を見るとそこに「東京牛乳サブレ」があった。
写真を撮る前に袋を開けてしまった。ブロガーに向いていないのかもしれない。
「東京牛乳サブレ」はセブンイレブンの中の目立つところに置いてある。
いつもパッケージを見るたび『美味しそうだなぁ』と思っていたのだけれど、「8枚入りで500円」という値段設定に怯んで買うまでには至らなかった。
セブンイレブンの他のお菓子は大体100~200円なのでそれが異様に高く見えたのだ。
この前やっと『あれを食べずに死ぬのは少し悔いが残りそうだ』と思い勇んでセブンイレブンに討ち入りしたのにその時は置いていなくて大変ショックを受けた。
『そうか、東京牛乳サブレは常駐じゃなくて非常勤なんだな。今度見つけたら絶対に買おう』と秘かに企んでいた。
だからその日レジの脇にいたサブレを見て『やっと会えたね』と中山美穂に出会った時の辻仁成のようなセリフが胸の内に湧き起った。
出会えたことに驚き、恍惚の表情を浮かべながらいつまでもサブレを見つめるだけの私。辻仁成も中山美穂をこんな風に見つめたのだろうか。だとしたら当時の中山美穂が多分そう思ったように私もサブレに『気持悪いな、こっち見んじゃねーよ』と思われているに違いない。
『買おうかな、でもやっぱ高いな…しかしこの機を逃したらいつ手に入るか…』などとこの期に及んでうじうじ悩んでいるとさっきまで私のレジの対応をしていたセブンイレブン店長(おっさんだしいつもそこにいるから店長だと思ったけれど、思い込みかもしれない。実際には彼は年を取っているだけのただのアルバイトかもしれない)が
「それおススメですよ。たまにしか入ってこないの」
と声をかけてきた。実際には私は両耳にiPhone付属の白いイヤホンをつけて英語の勉強のためにABCニュースを流していたので「声をかけられてハッとした」というよりは「視界の隅でおっさんが身を乗り出して何やらこちらに語り掛けているのに気づいた」というほうが正しい。
「あっ!? ああ、じゃあ買おっかな…えっへへ…」
と、これまた気持ちの悪い返事をしてしまった。「長年引きこもっていた人が街人から急に話しかけられて慌てる」という風景をドラマや映画でよく見るがその時の自分はそれにそっくりだと思った。
「本当にたまにしか入ってこないからねえ」
と語る店長(仮)に「へえ」「はあ」「なるほど」などとわずか数文字の返事を返す。
あとで「もっと長いセンテンスを話せばよかった」と反省した。
「東京牛乳サブレはいつもセブンイレブンにあるものだと思っていたのでこの前店で見つけられなかったときは本当にガッカリしました。でも今夜こうして再開出来て嬉しいです。とっても」
と言うのが正解だったのかもしれない。
しかしもしそう話しているうちに後ろにレジを待つ人がやってきて『この女、なにちんたら話してんだ。さっさとどけよ』などと思われたら店長にもレジ待ち人にも申し訳ないしな、などと細部まで心配してしまうのでその夢は叶わない。
一時間前まで「世界中の蚊を撃ち殺してやりたい」と思うほどに心がギスギスしていたのだけれど、セブンイレブンを出てからは何だか気持ちがスッキリしていたし、「世界中の蚊を撃ち殺すのは気分がいいだろうけれども、蚊を食源としている他の生き物まで絶滅させてしまうだろう」と生態系のことを冷静に考えられるようになっていた。
生身の人間と数秒でも話したことが心に良い影響を与えてくれたのかもしれない。
意外と知られていない「街ゆく他人」と話すメリット | ライフハッカー[日本版]
知らない人に話しかけると幸福度が増す上に心臓発作のリスクまで抑えられるのだという。
そのセブンイレブンのおっさんは実に楽しそうに仕事をしていたように思う。「知らない人に話しかける」確率が物凄く高いからだろう。過去に接客業のアルバイトをしていたことを思い出すとやはりあの時は楽しかった。嫌な思いをすることもたまにはあったけれど、うきうきしている時間の方が長かったように思う。
目を見て、声を出して、笑って、ということを最近めっきり忘れていた。LINEやメールなど電子上でのやり取りだけでは補えない満足感がそこにはある。
東京牛乳サブレを食べた感想は「うん、まあ、普通のサブレ」という感じだが、あの時あの店で見つけてよかった、と思った。