聞こえますか、日本の皆さん、いまアナタの脳に直接語り掛けていますよ・・・
実は2週間ほどプレアデス星人に捕えられていました・・・
由比ヶ浜の方に季節はずれのしよひがりに行っていたら突然目がくらむような光に包まれてな、よーく見たら、光の中からちいさい子どものようなのが歩いてくる。
「どうしたの~?お母さんとはぐれたのかい?」って聞いてみたんだけど、なーんにも答えずにニコニコしているんだ。
その小さい男の子、しかし妙に表情の大人びている男の子はこう言った。
「おねえさん、ぼくの飛行船に乗って火星を見てみないかい」って。
私はこう思った。「ははあ、これは新手の痴漢にちがいないや」ってね。
だからさり気なく中学二年生の時に習っていた空手のポーズを取ったんだ。三か月だけ習っていた空手のポーズを男の子に向けてやってみた。
男の子は黙ったまま、ずうっとニコニコニコニコしている。だから私も負けじと空手のポーズを取り続けた。
その姿勢のまま、一時間は経っただろうか。空は暗~くなって、辺りはもう、波の音しか聞こえない。
男の子の瞳は相変わらず澄んでいて、私の目を真っ直ぐ見つめている。
「おねえさん、ぼくの飛行船に乗って火星を見てみないかい」
男の子はさっきと同じ台詞をまるで初めて口にするかのように言ってきた。
私は空手もどきをやめて、真っ直ぐ男の子の方に向き直った。そうして言ったんだ
「ごめんね、お姉さん、おうちで恋人を待たせているの。今頃お姉さんの恋人が、おうちでクラムチャウダーを作っているから」
もちろん恋人なんかいなかった。家に帰っても散らかった部屋がひっそりと待っているだけだった。
「おねえさん、ぼくはおねえさんに恋人がいないことは知っているんだよ。ぼくはおねえさんのこと、み~んな分かっているんだよ」
私はまた黙った。男の子も黙っていた。
暫くすると男の子は言った
「こっちだよ」
勝手に私の手を引いてぐんぐん歩いて行く。傍から見たら仲の良い姉弟に見えたかもしれない。
男の子の言う「飛行船」は浜の端の方に停められていた。
小型のバスくらいの大きさしかないそれは乳白色をして丸みを帯びている。
指で押してみるとかすかな弾力で跳ね返してきた。ちょうどイルカの肌を触っているときのような感じだ。
「おねえさん、これからぼくはおねえさんに色んなものを見せてあげる。そのうちぜんぶが真実で、そのうちのどれもが素晴らしいというわけではないけれど、あまり驚かないでね」
飛行船には入口が見当たらなかった。その代わりに孔のような切れ目があった。男の子はその孔を手で開いて中へと入って行く。
「おいで。さあ」
こちらに手を伸ばす男の子の目をじっと見つめていると、実はこの子は私よりもずっと長い年月を生きているのではないかと思えてきた。
その柔らかく湿った手を握る。男の子も同じ力で握り返してくる。
次の瞬間私は真っ白な小部屋の中にいた。
とても清潔で、コンパクトな部屋だ。
「もう安全だよ」
そう言って男の子は私を椅子に座らせた。座った椅子の心地は柔らかくて温かくて、まるで生きているんじゃないかと思う。
飛行船は気づかない間に海のはるかはるか上空まで飛んでいた。そのうち日本列島がくっきりと見えてきた。そしてだんだんと丸い地球、図鑑やテレビで何度も見たことのある、あの地球が目に飛び込んできた。それはあまりにも青く、美しく、あまりにもイメージと全く同じ地球だったために現実味も新鮮味もさほど無かった。
「やっとふたりきりになれたね。やっと」
ちいさな男の子が私のほうにぴったりと身を寄せてきた。くんくんと頭を嗅いでみると赤ちゃんのような匂いがする。
「新手の痴漢じゃないか」と海のそばで感じた私の勘はさほど間違っていないような気もしたけれど、暫くはその小さくて温かい生き物を抱きしめていることにした。
「もうすぐ火星だよ。おねえさん」
窓の外も見ずに男の子は言う。
地球とは対照的な、ほの赤い、無機質な感じの球体が視界に入ってきた。
「水も緑も無く、誰もいない、可哀相な星に見えるだろう?でもね、火星人はみんな星の表面ではなく、星の内部に住んでいるんだよ。そこには台風も、地震もない。ただ平穏な日々があるだけ」
男の子は私の腹のあたりに口をつけたままモゴモゴ言った。
「そう」と私は言った。
『なんとなくそうなのかもしれない』とぼんやり思った。
「ぼくの星へ行こう。ぼくのプレアデスをおねえさんに見せてあげる」
男の子はパッと目を輝かせて窓の近くにある色々なボタンを高速で押し始めた。
少し青みがかった銀色の星が見えてきた。
「ぼくはあそこから来た。あの星からおねえさんに会いに来たよ」
プレアデス星からどうしてわざわざ由比ヶ浜でしよひがりしている私に会いに来るのか皆目見当がつかなかったけれど、とにかく「そう」と言っておいた。
プレアデス星の人々は私たちが飛行船のまま街中に降り立っても特に驚いている様子はなかった。こちらを見てニッコリしたり手を振ったりする人々もいた。皆善良そうに見える。
地球の人と見た目でそんなに変わったところはなく、強いて言うなら若干背が高く耳が尖っているような気がする。
そういえば、と思って男の子に聞いてみる。
「地球には谷村新司という歌手がいて、彼の代表曲の『昴』はプレアデス星人からのメッセージだと本人は言っているようなんだけど」
「時々ああして地球にメッセージを送るようにしているんだ。地球に住んでいる、歌手や、作家なんかを通して。勿論信じる人はごくわずかだろうけど、そうして少しずつ地球とこちら側との擦り合わせを行うことが大事なんだよ。とてもとても小さな変化だけれども、それは確実に誰かの心には届いているんだ」
私はまた「そう」とだけ言った。
色々なものを見たせいだろうか、少し疲れてきたので目を閉じる。
左手をこっそりと握るちいさなちいさな手の温度が私を安心させた。
「おねえさん、ぼくのプレアデスで一緒に住まないか。ぼくと、ぼくの兄と三人で暮らそうよ。プレアデスはとても平和だから」
「うん」と曖昧にうなずく。
「うん、そうね。それはとても平和で、幸せな暮らしなのだろうと思う。」
「でもね来週、私はタイランドに行くの。そういう約束をしているの」
「うん、そうだね」と小さな声で男の子は言った。窓の外をどこか哀しげな様子で眺めている。それは由比ヶ浜の海辺だった。月が照り輝いている。
「戻ってきたのね」
「おねえさん、この地球はね、もしかするとおねえさんが思っているよりもずっと汚れているのかもしれない」
それを聞いてなぜか涙が出てきた。心は翳り、目の前が真っ暗になった。
「でもね、光の中にも闇があるように、闇の中にも必ず光があるんだよ」
波の音がきこえる。
寄せては返す波が一定のリズムを刻んでいる。
真っ白な白い小部屋も、乳白色の飛行船もない。
気づいたら私は砂の上に片耳をつけて寝そべっていた。
こうしていると、地球と自分との境目がなくなって溶けていくような気がする。
しよひがりをしている時の格好のまま薄着だったにも関わらず、全身がぽかぽかして、少し暑いくらいだ。
地球のエネルギーを吸い上げているのかもしれないし、長い宇宙飛行のせいで身体の機能がおかしくなっているのかもしれない。
このまま寝てしまってもいい。波が子守歌のように心地よかったので目を閉じて体を砂に委ねる。
「見つけた」
すごく懐かしい声がした。
目を開けなくともそれが誰の声か分かる。
「やっと見つけた・・・みんな心配してるよ」
「みんな心配してる?ちょっと帰りが遅くなっただけじゃない」
「何言ってんの。あんた、何日も行方知れずだったんだよ。『潮干狩りに行ってくる』なんて言ったっきり」
「・・・今日は9月28日でしょ?」
「ばかね、10月8日だよ。今日は10月8日。」
信じられなくて、私は目を開けてAさんの方を見た。Aさんは最近知り合った女性で、私とは10も歳が離れているのに何故だかとても気が合った。
心配と安堵が一緒になったような表情を湛えるAさんを見たらほっとして、また目を閉じた。そうか、2時間くらいにしか感じなかった男の子との宇宙旅行だったけれど、実は何日も経っていたのか。
そういうものなのかもしれない、と思った。
「帰るよ」
Aさんは私を半ば無理やり立たせるとボックスカーの助手席に押し込んだ。
車が街へと向けて走り出す。
「そんな薄着で寝そべって・・・風邪ひくんだから」
「ねえAさん、どうして私があそこにいるって分かったの」
しばらく沈黙があった。そこには言い出すべきか迷っているような気配があった。
「呼ばれているような気がしたの」
「実はね、あんたと連絡が取れなくなった3日後に、おんなじように由比ヶ浜に車を走らせたの。あんたは浜辺のどこにもいなかった。」
「でもね、『どうしようどうしよう』って思いながらふと空を見上げたら、・・・何かが光ってたの」
「信じられないかもしれないけど・・・その光は動いてた」
住宅街をボックスカーはすり抜ける。こんな夜なのに小さい子供が家の外に出てはしゃいでいる。何かのお祭りだろうかとぼんやり考えた。
「その光を見つめていたらね…なぜか安心したの。あの光の中にあんたはいるんだ、だから大丈夫なんだって直感で思った」
会社帰りのサラリーマンも、風呂屋のおじさんもみんな空を見上げて何か騒いでいる。
「昔から薄々そうじゃないかと思っていたけど、その時、変に確信したの。ああ、宇宙人っているんだなって。そして今朝目覚めたときに、あんたが由比ヶ浜に帰ってくると直感した」
「ねえ、今日は何のお祭りなの?こんな夜中に子どもも大人も外に出て何か騒いでるみたいだけど」
「・・・いい」
どこまでも冷めた女だね、とAさんは笑った。
信号待ちをしているとき、窓から少し頭を出して月を見ていたAさんが「あ、いま月の横で何かが光った…」と呟くのが聞こえた。
私はついに耐え切れなくなって、ボックスカーの助手席で深い深い眠りに、落ちた。